2011年2月 7日 (月)

小説2

一、回航の準備

四月も終わりかけた二十五日、竜二はいつもの回航と同様に航行予定区域の海図と港湾案内を手配すると、積載品の準備に取り掛かった。いつもの回航と比べるとかなり高級な船である。最小限の施設は使わせてもらうものの、傷をつけないように養生しなければならない。養生のための資材の量をふやすとかなりの容積になるが仕方のない事だった。今回航海計器は船についており、ほぼ完璧な装備といっても良かった。しかし、竜二従来どおり使い慣れたハンディのGPSとハンドベアリングコンパス、双眼鏡、ハンディライトは持っていくことにした。

また、いざと言うときに洋上でも修理が出来る様に工具一式とテスター類、電気配線工具、予備配線は持っていくこととした。さらにハンディの充電器、DCACインバーター、ブースター・ケーブルなど、どんどん搭載品は増えていった。

季節的にも春から初夏に掛かる五月であるから、それほど防寒服にこだわる必要も無い。船内はエアコンが完備されている。よっぽどの事が無い限り乗員を寒さにさらすことは無い。しかし、緊急用の防寒服や道具は今回のコンテナには標準品として入っている。陸上でも有効なサバイバル用品は一式入っているのだ。

竜二がこれらの積載品をコンテナボックスに詰めると、その数は十個にもなっていた。後は手荷物で持っていくオイルスキン(船舶用雨具)、マリンブーツ(船舶用長靴)が有る。もちろん個人の着替え類は全て手荷物になる。全ての荷物の重量は二百キログラムにもなっていた。

竜二は先日契約担当の内田と会い、契約は済ませていた。またその時に内田は契約締結確認を林に行い、それが確認されると、竜二に残金の百万円を手渡していた。契約時に林は、竜二たちの荷物を、彼の会社の便で送ってやることも約束していた。竜二はためらうことなくこの申し出を受けていた。なにぶん国際線のオーバーウェイト(機内持込手荷物荷重制限超過)は高くつくのを知っていたからである。

竜二は最終の積載品リストと内容物を確認し、コンテナに封印をした上でストラップ(荷締ベルト)を頑丈にかけた。内田に電話をすると、集荷の時間の打合せを行いビザの申請に赴いた。通常の旅行と違い片道航空券での入国に台湾はかなりうるさい。事前に林の現地会社からインヴィテーション(招聘状、現地での身元引き受け状)を発行してもらって、それに航空券をつけて申請する。台湾の大使館に当たる交流協会に行って事情を説明しビザの発給を待った。午前中の申請で、夕方には発給されるとのことだったので竜二は出直すことにした。連休を控えてかなり混雑していたが、書類が完備されていたのでスムーズに処理されるようだった。

竜二はこの日クルーを集めていた。クルーの最終健康状態の確認と役割分担の確認である。竜二は船長としての職責を負うが、他のクルーにもある程度の職責を当てないと命令系統が上手く働かないのが船である。乗船するクルー全員の序列を決め、指揮系統を決めていかないと必ずと言って良いほど揉め事につながり、最悪の場合は事故に繋がることさえある。船の規律とは非常に大切なものである。

今回のクルーは三人。エンジンの専門家で竜二の知り合いでもある小橋健二、身のこなしも早く気も利く後輩の青木浩一、以前本船に乗っていた後輩の渋谷守男の三名である。今回は、外洋を長時間にわたって走るため、エンジンは専門で見させたかった。竜二もエンジンは解るのだが、全体を見なければならない。やはり一人貼り付けた方が賢明であるとの判断だ。後の二人は、交代で舵を持たせるのと調理を受け持ってもらう。空き時間には、交代でエンジン(機関室)の補助もさせる。この航海で二人を鍛えておけば、別の回航のときにも困らない、そんな考えでの人選だった。

夕方、竜二はビザを受け取り集合場所に指定していた喫茶店に向かった。竜二が行き付けの小さな喫茶店を夜間のみ貸切予約していた。彼が店のドアを開けると全員が揃っていた。それぞれは顔も合わせた事が無かったためか、バラバラに座っていた。竜二が店の中に入ると全員が立ち上がって照れくさそうにお辞儀をした。

「よく来てくれた。今から打合せをするから全員こっちに来てくれ。」

竜二は手招きで奥のテーブルに全員を集めた。すでにテーブルの上にはかなりのご馳走が載っていた。

「飲み物を頼んだか?」

竜二が尋ねると、全員が応えた。

「いいえ。」

その答えが余りにも揃っていたので、竜二は下を向いてクスリと笑った。

「息が合っていいじゃん。この調子で今回の航海を成功させようぜ。」

竜二は笑みをたたえながらも全員に強い調子で語りかけた。

「それでは自己紹介といこう。まずは小橋から、次に青木、渋谷、最後に俺。」

竜二が言うと全員緊張した面持ちで小橋に注目した。

「小橋です。得意なのはエンジン、特にディーゼルエンジンです。酒は浴びるほど好きです。今回の船長とは一緒に乗船したことはありませんが噂には聞いています。船長の無事故の記録を更新できるようにがんばります。よろしく御願いします。性格は、自分では温厚だと思っています。三八歳、バツ一独身です。」

小橋はやや上ずった声で自己紹介を終わった。緊張感が薄らいだのか、ホッとした笑顔を見せていた。

「青木です。船長とは回航に何度か一緒に行きました。時化た海では船長に舵を取ってもらいましたが、長時間舵を持っていても苦になりません。正確は温厚で粘り強いと思ってます。三十歳、独身。彼女無しです。よろしく御願いします。」

青木はややひょうきんに自己紹介をした。

「渋谷です。本船に職員で乗ってました。外航だったので、年老いた両親が心配で降りました。海は好きです。趣味はヨットです。船長とはヨットの回航でも一緒に乗りました。三十歳です。あっと、青木さんは何月生まれですか?」

「僕は八月だけど。」

「とすると、僕が一番の若者ですね。十二月生まれですから。もちろん彼女は募集中ですが、海が有りますので。幸せです。よろしく御願いします。」

「みんなも知ってるとおりの武田竜二です。今回の航海も無事に終わらせよう。みんなの協力を頼む。それと航海中の船内における注意事項を伝達する。今回の船はヨーロッパ製で高級なものである。船内では禁酒禁煙。使用する場所、施設も限定する。詳細は船を見ながら説明する。出発は明後日。朝八時に俺の部屋の前に集合。車で来るなよ。置けないからな。荷物は送るものは送ってあるので、私物は手持ちとする。福岡空港から高雄まで日本アジア航空で行く。今回は発注者のご好意によりビジネスクラスで行くことになった。中でのアルコールは無料だが、飲み過ぎないように。上空でのアルコールは回りが速いからな。パスポートは空港で各自に航空券と一緒に渡す。現地では嗜好品以外は金を使わないと思うが、大量に両替はするな。日本に帰ってからは逆両替は出来ないぞ。えー後は、質問のあるやつは?」

「船長、携帯電話はどうしますか?」

青木が恐る恐る質問した。

「彼女なしと言った割には携帯電話が心配か?一応持っていけ。充電機は各自合うやつを持っていけよ。台湾の中では使用できないが、日本近海になったら繋がるから。それに、日本近海のほうが時間は長く掛かるはずだから。船内のコンセントは交流の百ボルトになっているから、国内の充電器が使用できる。」

青木は安心したように首を縦に振って頷いていた。他の連中も青木の質問が一番大事だったようだ。

「あと、食料品は現地で購入積載する。飲料水も。買出しは俺と青木で行う。渋谷は小橋に付いてくれ。いいな。それでは飲み物を。マスター、冷えた生ビールを全員に。」

竜二が頼むや否や、生ビールのジョッキがテーブルに並んだ。

「おっ、段取りが良いねえ。よっしゃー、今回の航海の成功を祈念して、乾杯!」

「乾杯!」

全員が一気にビールを飲み干すと拍手をした。これからが宴会の始まりだと言わんばかりだ。

この日は全員がこの喫茶店でへべれけに寝るまで飲んだ。航海中は禁酒禁煙だから、特に飲んだのかもしれない。全員が航海の無事を口々に約束しながら夜はふけていった。


2011年1月23日 (日)

小説1

プロローグ

 

竜二は四月のけだるい朝を迎えていた。昨日の夜はどうやって部屋まで帰ったのか、其れまで何をしていたのかを一生懸命思い出そうとしていた。うつろな記憶の中から、少しずつ昨日の晩の様子がよみがえってきた。朝の明るい日差しとは逆に、竜二の頭の中は混沌としていた。

「昨日一緒に飲んだ女性に、かなり飲まされたんだっけ。」

竜二が朝まで行きつけのスナックのカウンターで飲んでいた中に、今まで会ったことの無い女性がいたのを思い出していた。スナックの従業員や常連メンバーの連れだったのかも定かではない。記憶に有るのは、竜二にもたれ掛かって来たり甘えてきたりして、かなり飲まされたことだった。

竜二にとってその行為は非常に甘美で、魅惑的だったのは覚えていた。竜二はその彼女の名前を思い出そうとしたのだが、どうしても思い出すことは出来なかった。店で別れたのか、送って行ったのかさえ覚えていなかった。

竜二は少しずつ朝の現実に戻りかけていた。竜二は少しずつはっきりとしてきた目をこすると右腕に着けている大き目のダイバーズウォッチに目を落とした。指針はすでに十時過ぎを指していた。いまだ完全にはっきりとはしない頭をフルに動かし、今日の予定を確認しようとしていた。

「そう言えば、今日誰かと会う予定を入れていたような気がする。」

誰もいない部屋の中で竜二は、消え入りそうな声で呟いた。

「あっ、見積もりをしてくれって言われていたんだ。」

竜二は今まで動きの悪かった自分の体に鞭を入れるかのようにベッドから飛び起きていた。まるで早送りの映画のように、急いで着替えた竜二は洗面台に向かい、まるで猫が顔を掻くように髭を剃った。もともと髭の少ない竜二は、短時間で朝の儀式を終了させ、手帳を半透明のセール生地で出来たかばんの中にあることを確認すると、鞄を抱えさわやかな空気をたたえた世界へと足を踏み出していった。

竜二の仕事は、船の仕事全般を請け負うことだった。船の修理から運搬までをこなすのだが、自分の工場は持たない。船を運搬するといってもトラックで運ぶのではなく、自力で海の上を走って運ぶのである。海の世界では「回航屋」と呼ばれる職業であった。

今回は竜二の商売上の知り合いである後藤と言う人物からの紹介で見積りを依頼され、先方と打合せをしなければならなかったのである。その後藤と言う人物は、意外といい仕事を紹介してくれるのだが、一緒に飲んだり船に乗ったりはした事はない。それでも仕事を紹介してくれる。まさに竜二にとっては良いお得意さんだったのである。そのお得意さんが「今回は特に良い仕事だから。」と言ってきたので、竜二はかなり期待をしていたのである。

竜二は駐車場に止めた自分の車までの時間、見積もりを依頼された状況と依頼主、待ち合わせ場所、それから関係する事柄を頭の中に次々と思い出し、着実に頭をクリアーにしていっていた。

竜二を静かに駐車場で待つ車は、白い国産のワゴン車だった。かなり年式は経っているのだが、竜二が大切に使用しているため、同年式のそれらよりも輝いていた。外観もさることながら、エンジンも常にメンテナンスしているためとても調子はよく、加速も普通乗用車並みに良く仕上げていた。

竜二は、愛車の外観を確認すると、ポケットからキーを取り出し愛車に乗り込んだ。愛車の中の空気は、朝の太陽に十分暖められ、逆にムッとするような温度を持っていた。昨日車を降りたのは飲みに行く直前、仕事からの帰りだった。寒かったのか暖房を入れていたらしい。エアコンのスィッチが暖房のままになっていた。竜二は慌ててエアコンのスリッチを冷房にまわした。

快調に回り始めたエンジンは、潤滑油がすべての回転部に行き渡るころには静かな心地よい音を出していた。竜二はいつもこの待ち時間を楽しんでいた。この間にエンジンが発するいろんな音から、今日のエンジンの調子と天気がわかると、竜二に先輩が教えてくれたのを思い出していた。事実、晴れた日と雨の日ではエンジンの音は異なって聞こえ、調子が悪くなるときは、その時点で、エンジンはかすかにいつもと違う音を発生させるのである。竜二は自分の乗るもののエンジンについては、先輩からの教えを守って接していたので、いつも大きな故障やトラブルを避けることができていた。

エンジンの音が変わり安定したことを確認するとゆっくりとアクセルを踏み、車を発進させた。車はスムーズにそして快適に町を目指して走っていった。

やがて竜二を乗せた車はオフィスビル郡の中の一角にあるコイン駐車場へと入っていった。

車を停めた竜二は、自分の記憶の中にあった客との待ち合わせ場所へと向かっていた。記憶の中にあったその場所は、以前知り合いが勤めていたオフィスビルの中で、結構高級感が漂う瀟洒な建物群の中にあり、堅い会社ばかりが集う、そんなイメージの場所であった。

大理石が敷き詰められたエントランスを入り、正面に位置したエレベーターに向かって進んだ。幸いなことに一台のエレベーターはドアが開いており、待つことなくその中へと入ることが出来た。竜二が乗ると、静かにエレベーターのドアが閉まった。彼は慌てて待ち合わせ場所として指定された会社のある階を探しボタンを押した。エレベーターは静かだが強い加速感を与え、指定された階まで一気に昇っていった。

やがてエレベーターは静かに着床すると、全く平然とドアを開け、進む道を示しているようだった。竜二はエレベーターにせかされるように降りると、指定された会社のドアへと向かって歩いていった。その会社を探す手間を全く必要としなかった。降りたところの正面に、その会社のドアはあった。ドアを軽くノックをすると、静かに綺麗に磨かれた少し大き目のドアノブを回しドアをゆっくりと押した。重厚に作られたドアは竜二の力を抑制するかの様に威厳をもって静かに開いていった。

ドアが開くと受付があり、愛想の好い二十代後半と思われる知性があふれんばかりの女性が笑みを浮かべ彼を迎えた。

「林さんはいらっしゃいますか?武田竜二と申します。」

竜二は聞いていた依頼者の名前を受付の女性に尋ねようとしたが、逆に女性が尋ねてきた。

「武田竜二様ですね?しばらくおかけになってお待ちください。」

竜二は事務的だが指示力のある言葉に操られるように、受付横のソファーに腰をおろした。竜二が腰をおろすのを確認すると、彼女はまるでその動きに連動しているかのように電話を取ってかけていた。相手が出たのか、来訪者の名前と来訪を告げる彼女の声が静まり返った事務所の中に響いているかのように聞こえてきた。竜二はおもった、なんて静かな事務所なんだろう。従業員が少ないのかな、と。

竜二は知っている事務所との違いに、だんだん緊張していく自分が判った。

『この事務所の主はとてつもなく金持ちなのかも知れない。』

依頼主のオフィスに通されるまではいろんなことを考えていた。

「武田様、お待たせいたしました。林がお待ちしておりますのでご案内いたします。」

彼の前に先ほどの受付にいた女性が立っていた。先ほどは座っていたので気が付かなかったが、かなりプロポーションの美しく均整の取れた美しい体形に一瞬緊張してしまった。

竜二は女性に後に続いた。やがてオフィスの奥に進むとさらに重厚なドアが出現した。前を歩いていた女性は彼に前をあけ、恭しくお辞儀を部屋に入るよう手で合図をした。部屋に入る際ペコリと頭を下げたものの、目線はすでに部屋の中をさまよわせていた。部屋の中にはいかにも高級そうな革張りと思われるソファーが窓の外に向けて鎮座していた。反対側の椅子には五十歳代と思われる男性が威厳を持って座っているのが目に入った。竜二は男性に名前を告げた。

「武田竜二です。後藤さんの紹介でお伺いしました。」

彼が完全に部屋に入り自己紹介をはじめると女性は静かにドアを閉め音も立てずに立ち去っていた。

男性はゆっくりと立ち上がり満面の笑みを浮かべながらソファーに座るよう進めた。

「はじめまして。私が林です。後藤さんにはあなたのこと色々と伺っています。」

林氏と会うのは初めてである。林氏が差し出した右手を軽く握りながら竜二は行った。

「今回はお世話になります。」

仕事の概要は事前に林氏を紹介した後藤と言うブローカーに聞いていたのだが、正式な約束事は何もなされていなかった。

「それでは今回依頼する仕事について説明させて頂きます。」

林は仕事の内容について説明をはじめた。竜二は林の顔から瞬間的に笑みが消えたのを見逃さなかった。その笑みが消えた顔で淡々と説明を始めた林を見て何となく不思議な印象さえ抱いていた。

林は竜二にこのコピー用紙にプリントされたカタログと、活字が並んだ五~六枚のステップラーでまとめられた書類を手渡した。

モノカラーでコピーされたカタログには、イタリアンデザインの一流メーカーが作った豪華モータークルーザーが載っていた。デザイン自体は一般的なものだったがエンジンが通常よりも馬力が大きくされていた。竜二は頭の中で、カタログに記されたエンジンの定格と燃料消費量を思い出していた。燃料タンクの記載個所にはガロンとリッターによる記載が合った。それによるとエンジンの定格馬力は一基当たり千馬力、それを二基搭載していた。発電機は二十キロワットを一基、そして補助が十キロワット一基。通常のモータークルーザーにはない立派な装備を持っているように思えた。

竜二が考えていることを見透かすかのように林は切り出した。

「私は早くてゴージャスな船が好きなんです。早いということは安全と密接な関係にあります。天候の急変に対しても早い船なら安心です。そして何より早いと言うことは、何があっても一番に戻れます。急に仕事が入っても、慌てることなくスロットルを上げれば良い。そんな船を捜していたのです。今回ヨーロッパのブローカーからの紹介なんですが、台湾まで回航してきた船で急にキャンセルになった船があるというのです。日本を目の前にして。」

残念そうな口調で話す林の言葉を聞きながら竜二は書類に急いで目を通していった。竜二が目を通していた書類の中に出発地と到着地が書かれていた。

「台湾の高雄から福岡の新門司マリーナまでです。」

林は言った。ちょうど竜二がその地名を確認しようとしたときだった。まるで教科書を読んで聞かせる教師のように林の言葉は竜二の頭の中にその地名を焼き付けた。

高雄は台湾の南方に位置する貿易港である。台湾有数の漁港でも有り、たくさんの造船所も有った。海外向けのボートやヨットの多くは高雄で作られていた。竜二は以前、高雄の造船所を見に来たことがあった。そのときは、その造船所で作られたモータークルーザーを運ぶため下見に行ったのだ。

今回の目的地である新門司マリーナは、

福岡県
の瀬戸内側にある北九州市が建設した公共マリーナである。竜二も何回か入ったことがあるマリーナであった。

竜二の頭の中でいろんなことが駆け巡っていた。まず考えたことは、高雄から新門司までの距離だった。距離としては全く問題は無いはずである。燃料タンクもかなり大きくないとヨーロッパから高雄まで来れるはずも無い。完成したが、航行性能に問題があり台湾から沖縄まで渡れないなんて事が過去には有ったが、今回は、実際の船がヨーロッパから台湾の高雄まで来ているとの事なので、その可能性も無い。後は金額と契約の内容で決まるだろう。

竜二は悩んでいた。こんな良い仕事はめったに無い。ヨーロッパから自力で高雄まで来ていると言うことは、エンジン自体の慣らしは終わったと思っても良い。エンジントラブルで高雄に止まっているということは可能性としてあるかもしれない。オーナーが回航屋にトラブルのことを言わずに発注するということは良くある話だ。契約の段階で、エンジン故障の際の免責と、修理中の滞在費、交通費支給の特約を入れておけば安心である。

竜二の心は決まった。まず相手の数字を聞いてからにすることにし、話を切り出した。

「林さん、率直にお伺いします。おいくらでしたら良いでしょうか。」

「武田さん、あんたも面白い人だね。素人の私に価格の決定権を譲るのかい?」

林は笑みを浮かべながら竜二の次の言葉を待っているようだった。竜二は観念したかのように話し始めた。

「後藤さんの紹介で、かなりのところの金額はつかんでいらっしゃるでしょう。僕が見積もりをしたところで、大体の予算は決めてらっしゃると思うのですが。それだったらご希望の金額をお聞きしたほうが良いと思ったものですから。」

竜二は笑みを浮かべることなく一気に言葉を吐き出していた。林も竜二の言葉の真意がわかったらしく、慎重だが確実に言葉を発した。

「色々な条件はつめるとして、予算は燃料代別に二百万円。」

竜二はその言葉をメモするとともに、条件について話し始めた。

「林さん、通常であれば簡単にイエスと言ってしまうところなのですが、今回は船が高級すぎて慎重に成っています。ご希望はお伺いしましたので、こちらの条件も言わなければいけませんね。」

林は竜二の発言をさえぎるように話し始めた。

「武田さん、この金額に対する条件は私のほうから言わせてくれ。天候の不良や機関故障の際にかかる経費は一切私が責任を持つ。もちろんあなたが余分に出費をすることは一切無いようにする。そして運行に関してはあなたの判断で行って貰う。その代わり、あなたは船を無事に新門司まで届ける。保険料は私がすでに支払っている保険で大丈夫だ。一銭も追加はいらないとの確認を保険会社にしている。不慮の事故による航行中の事故には保険が補填してくれる。その場合はあなたに過失が無い限り余分に係った経費は私が持ちます。後は海事法の定めるところにより船主としての義務はまっとうしよう。

ただ、通常の回航と違うのは、途中で人間を拾って貰うということだ。別に怪しい人間を密入国させろ、とかの類ではない。私の親戚が屋久島の別荘にいて、中々こちらまで出てこないので、今回の回航の話をしてみたら、是非乗ってみたいと言ってきた。仕事の邪魔には成らないと思うので何とかその男を拾ってきて欲しい。また途中から私も是非乗ってみたいので、途中で拾って欲しいのだが、この条件でどうだろうか。」

竜二は安心した。途中で拾ってくれと言う話は常にある話で、何の問題も無い。もしもそのことが原因で遅れてもその分の日当は保証されている。そんなおいしい話、どう考えても断る必要など全くもって無かった。竜二は最初と打って変わってその場で結論を出すことにした。

「林さん、請け負わせていただきます。」

竜二が答えると林は満足したようで竜二に握手を求めてきた。今回は林の手に力が入っているのが良く分かった。

「ありがとう。後藤さんの言っていたとおり、気持ちのいい人だ。おかげで今回はスムーズに台湾から日本まで着くことでしょう。」

林は竜二が請け負うとの意思表示をその場でしたため、かなり喜んでいた。

「早速契約の話だが、うちの総務の人間に任せてあります。内田と言う男性です。電話が入るはずですから、詳細な契約の詰めはこの内田と行ってください。今私が話した内容で契約書を作成するように指示をしておきます。出来上がり次第ファックスで送らせますので確認してください。オッケーの返事がいただければ私は印鑑を押して、内田が武田さんの所の印鑑を頂きに上がらせますから。今日、お互いの意思の確認と契約は口頭ですが成立しています。回航の準備にかかって頂いて結構ですから。」

「分かりました。林さん、私は早速回航の準備に入ります。相棒の選定とか有りますのですぐに準備にかかります。」

「分かりました。内田には出来るだけ早く契約書を作成させ連絡させます。ところで前渡金ですが、先ほどの二百万円の半分、百万円でかまいませんか?」

竜二に依存があろうはずは無かった。林は女性を呼ぶと小声で指示をしていた。

女性は一旦事務室に消えたが直ぐに戻ってきた。瀟洒な銀の盆に現金が入っているらしい封筒が乗せられていた。林はその封筒を取り上げるとそのまま竜二に渡した。

「竜二さん前渡金です。領収はまとめていただきますので本日は仮領収で結構です。」

林はそう言うと現金と一緒に添えてあった仮領収証を渡した。竜二は仮領収証にサインをすると林に返した。

「それでは詳細は後日連絡させていただきます。それと、台湾での手続きなんですけど。」

「大丈夫。私の取引先が台湾にあり、すべて面倒を見てくれるように手配してあります。もちろん、現在保管と整備を依頼している造船所もあります。あなた方が飛行場に着くと、あなた方の名前を書いたプラカードを頼りに歩くだけで、目的の船まで着くように手配してありますから。もっとも何かのトラブルがあるといけませんから、先方の連絡先やホテルの名前、場所などは事前に内田からお知らせしましょう。」

竜二は林の手配に馴れた態度に少し驚いていた。林は竜二の表情を見て説明した。

「武田さん、入られるときに当社のポスターはご覧になられませんでしたか?」

竜二は見過ごしていた。二日酔い気味の頭をはっきりさせることだけに集中していたせいか、全く気づいていなかった。

「すみません。」

竜二は首をすくめながらペコリと頭を下げた。林はそれをとがめる風でもなく、事務的に説明をはじめた。

「実は、当社は台湾から果物の乾燥品を輸入しています。以前は自然乾燥させていたのですが、最近では真空乾燥させたものを輸入しています。真空乾燥の技術は、殆ど日本から当社が持って行ってますけど。」

林の説明によると、果物の糖度は台湾製の物が優れていること、台湾では熱帯から温帯までの果物が作れることなど、かなりの商品価値があり独占的に輸入していることのだった。竜二は今までいろんな商売を見てきたが、特殊なものほど儲かると言うことをまざまざと見せつけけられていた。

一通りの説明が終わると、林は少し大きな声を出した。すると隣室に控えていたかのように再度女性がすぐに部屋に入ってきた。林が一言二言指示を彼女に出すと、うやうやしく頭を下げ部屋から消えていった。

「武田さん、サンプルをお持ちしますからお試しください。大丈夫、商売を手伝って暮れとか言いませんから。」

まもなく先ほどの女性がしゃれた紙バッグを少し重そうに下げて再び部屋に入ってきた。

「武田さん、これです。まあ気に入ったらまた差し上げますから。」

林は竜二に女性から受け取った紙袋を渡しながら言った。竜二は恐縮しながらも頭の中で乾燥した果物の様子を想像をしていた。ドライフルーツと言われてもレーズンぐらいしか知らない竜二はどっしりとした紙袋の重みを感じながらゆっくりと立ち上がった。

「林さん、今回はありがとうございます。」

林も立ち上がると言った。

「武田さん、まだ出港もしていないんですよ。新門司マリーナに着いてからにしましょう。」

林はそう言いながらも今までとは違う人懐っこい笑顔を満面にたたえて再度竜二の手を握った。会社の出口のエレベーターホールまで見送り、エレベーターのドアが閉まるまで林は竜二を見送ってくれた。竜二の乗ったエレベーターは来たときと同様、全くショックを感じさせること無くエントランスのある一階に着いていた。竜二はエレベーターを降り、自分の車に向かいながら、バッグの中に入れていた携帯電話を手探りで探していた。

竜二は携帯を見つけると早速後藤にお礼の電話を入れた。後藤の携帯はすぐには反応しなかったが、留守番電話に変わる寸前、後藤が応答してきた。

「もしもし、竜ちゃん?」

後藤は竜二からかけたはずの電話に、さも自分からかけたように話を始めた。

「どうだった?林さん、ちょっと難しそうに見えるけど、いったん信頼をすると、とことんまで信用する人だから。竜ちゃんだったら大丈夫だろうけど。あの人がドライフルーツをくれたら大丈夫なんだけど。どう、もらった?ドライフルーツ。台湾産のやつ。」

後藤は竜二に話す暇を与えることなく、自分の言いたいことを一気にまくし立てた。

「後藤さん、ありがとうございました。おかげで仕事を頂きました。でもドライフルーツにはそんな意味が有るんですか?」

「竜ちゃん、貰えなかったからと言って落ち込まんでもいい。また次回って言うことが有るから。」

「いや、貰ったんですけどそう言った意味が有るなんて知りませんでした。」

後藤は竜二がドライフルーツを貰ったことが分かりホッとしたようだった。

「なんだ、早く言ってよ。竜ちゃん。心配するジャン。でも俺もそれを言ってなかったものね。いや、言ったらまずいと思って言わなかったんだよ。それでいつ出発する?」

後藤は契約の話しなど関係ないらしく、まるで自分が回航に行くような気分になっているようだった。それはそれでしょうがない事ではあった。後藤は竜二の回航中、いつも電話や無線のワッチをしていたのだ。竜二もどんなに早くても出港時には電話をかけ、入港時にも必ず電話をかけていた。入港予定時刻から六時間以上遅れたら海上保安庁に遭難の可能性を通報する。それ以上になったら保安庁が自動的に捜索を開始する。近い場合や無線がつながる場合は無線でのワッチもやってくれていた。これは竜二と後藤の約束だった。後藤は竜二から何の報酬も貰っていないのだが、日ごろからお互い金銭抜きで付き合っているのだが、兄貴分の後藤が竜二を気遣って、いつのまにか習慣化してしまったのである。竜二も仲間のネットワークを持っていなかったので、心強く思っていた。

通常竜二のような回航屋は単独行動をとる。仕事を他に回したりすると、その客は二度と戻ってこない。そういった心配からお互いが仕事を紹介したりすることが無くなってしまったのである。たまに港で行き逢うことが会っても、頭も下げずに行き過ぎることさえある。かと思うと親友みたいに振舞う連中もいる。しかしこのような連中のほうがたちが悪いときがある。擦り寄ってきて客を見て直接客のところに行くのである。客は竜二の紹介と勘違いして発注してしまう。もちろん後から連絡があるのでばれるのだが。

後藤と別れた竜二は、止めていた愛車に乗り込むと一路アパートへと車を走らせていた。アパートに着くまでの間、竜二は今回の回航について計画を練り始めていた。まずクルーの人選をどうするか。いつもは三人で行くのだが、四人にした方が良いのか。また、燃料給油はどのようにするか。などなど、考えれば考えるほど迷ってしまう。竜二の頭の中は、迷いだらけになっていた。

竜二はとりあえず心に決めていた全員に声を掛け、返事を待つことにした。全部で六人に声を掛けていた。しかし、今回日程が合わず三人から行けないとの返事が来た。残った三人は竜二が六人の中でも連れて行きたいと思っていたメンバーでもあり、逆にちょうど人数は合ったので、三人それぞれに直ぐオファーを出した。概略の行程を出し、それぞれのクルーにその予定を伝達した。全員の予定を聞いてパスポートを預かり、出国の手続きをしたり海図を手配したりと多忙な日々が続いた。

出港の日程は、林の代理店と打ち合わせの結果、五月中旬と言う事になった。その時期であれば台風も少なく梅雨前線も活発な動きをしていない。それを逃すと梅雨前線が活発に動きだす可能性もある。


2011年1月21日 (金)

お久しぶり

携帯電話からアップできなくなったので、しばらくお休みしていました。

心配された方、ごめんなさい。

海に沈んでいたわけではないので。

これからも海の話を書いていきたいと思っています。

ところで、以前海を舞台にした小説を書いたのですが、熱が入りすぎ長くなってしまいました。

詳しく書きすぎて・・・・・・。

これを分散して書き直してここにアップしようかと思っています。

もしよかったら読んでください。

2010年9月16日 (木)

台風11号発生

台風11号が宮古島近海で発生しました。

大きさは小さいものの、これからは海水温度により発達することも考えられます。

これからが台風シーズン。そなえあれば憂いなし。

十分に気を付けてください。Wp1210

2010年9月10日 (金)

いまだ改善せず

携帯からブログがアップでき無い状況が今だ続いています。

なんとかしなければならないのですが。

ところで、米軍の台風情報サイトが閉じられていましたが、最近になってようやく閲覧可能になりました。

情報は多いほうが判断もしやすくなります。気象庁も勇気を持って予報してもらいたいものです。

これからの気象庁に期待します。

2010年9月 9日 (木)

Wp1110

今度の台風は大陸から日本海に向かう傾向が。

2010年8月31日 (火)

台風8,9号

ここにきて台風の発生が続いています。

8,9号は続けざまに発生し、東シナ海を北上するようです。

これカア台風シーズンになるようです。

2010年8月23日 (月)

台風発生

台風5号が発生しましたが、日本には直接影響はなさそうです。

しかし今年の台風発生数の少ないこと。

これから先の全休的な気圧配置が季節を決めます。

またどのくらい地球が太陽エネルギーを蓄積するのかも気がかりです。

化石燃料はエネルギー保存の法則から行くと循環するので影響はプラスマイナスでゼロになるはずなのですが、太陽光は外からのエネルギー。

当然蓄積されると温暖化が進むことは間違いありません。

2010年8月17日 (火)

夏のクルージング

最近携帯からブログに記事を送っても掲載できない状態が続いています。

一昨日から海の上だったのですが、結構いい写真をアップしたつもりで帰ってみると何故か全く掲載されておらずにがっくり。

そのうち写真を何とか携帯から取り込んで再アップします。

夏の海に出られる方に「冬支度、雨支度」と言っても、中々夏に冬支度をする方が少ないのにはがっかり。

夏の海で凍死することもあるのに。

とくに雨にぬれた後、ワッチをしていると寒くて寒くて・・・といった経験をされた方も多いはず。

夏でも夜のワッチは雨支度をして寒くないような準備をすることが必要なんです。

それと昼間は熱中症対策も必要です。

フライシートをオーニングの上に掛けるだけでもかなり違いますし、日よけがない船だと、一枚のシートで影を作るだけでも快適さは倍増します。

ヨットは夏のスポーツなんて大間違い。夏は危険が隣り合わせるシーズンだということを忘れないでください。

2010年8月10日 (火)

海水温度上昇

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日本近海の海水温度が28度まで上がっています。

台風の栄養素は海水温度。日本近海での発生の可能性もあります。

局地的な積乱雲から台風の発生する可能性もあります。

また、予想できない風が吹いたり、猛烈な雨が降りだしたり、海上ではかなり危険な状態も考えられます。

行く勇気よりも戻る勇気、安全第一でお願いします。